11月に仕事が産休に入り、12月に臨月となりました。
私は無痛分娩を希望していて
クリニック側が
休日もしくは、平日でも時間外に陣痛が来た場合は
麻酔科の医師が不在のため対応できないとのことだったので
計画無痛分娩を選びました。
計画無痛分娩とは
あらかじめ分娩日を決めて、陣痛促進剤を使って陣痛を起こし
麻酔によって痛みを和らげて出産することです。
無痛分娩により
陣痛や会陰切開の痛みを和らげられる
分娩に対する恐怖心を減らすことができる
分娩中と産後の疲労度が軽減される
ということを聞き、職場の先輩も無痛分娩を選びとても良かったという話を聞いて決めました。
12月20日
月曜日分娩室へ入院
朝9時、無痛分娩の点滴の針を背中に入れる。
無痛分娩の針は
腰の硬膜外麻酔で行われます。
背中を猫のように曲げて針を入れるのですが
私は身体が硬すぎて←
針がなかなか入らず、医師も苦戦!!
何度もやり直しが行われ、これが激痛すぎて
一瞬左足の感覚が無くなったりして
二度とやるものかと思いました。。
無事針が入りホッとしたのも束の間。
朝10時から陣痛促進剤を入れる。
17時まで変化なし。
(この7時間は腕に点滴が刺さっているのでトイレに行くのも点滴と一緒です。)
陣痛促進剤は本日終了。
点滴を外され自由の身。
そこから病室に移ることができるのかと思いきや
まさかの分娩室でお泊まりとなりました。
(心の声:え、お風呂入られへんの?)
12月21日火曜日
子宮口が開かせるため朝9時半にバルーンを入れる
朝10時に陣痛促進剤を入れる。
14時頃に腰に痛みが来て
きたーーーーーーーー!と思ったのですが
16時頃に痛みが治まり。
17時、終了。
分娩室にお泊まり。
12月22日水曜日
朝9時半にバルーンを入れる。
この時の担当の医師がバルーン挿入失敗を繰り返し
激痛&流血で心が折れかかる。涙
涙が出てくる。
朝10時に陣痛促進剤を入れ
何の変化もなく17時に終了。
分娩室にお泊まり。
12月23日木曜日
朝9時半にバルーンを入れ
10時に陣痛促進剤を入れる。
14時に痛みがくる。
きたーーーーーーーー!
17時に痛みが治まり、終了。
分娩室にお泊まり。
この日は、分娩室生活が辛すぎて
バルーンを入れられるのも怖くて
身体に色々と管が入っていて身動きが取れないのも辛くて
一度、家に帰してくれと医師に懇願。
翌日の朝、一旦針を抜いて帰宅しましょう
と言ってもらえてホッとしました。
しかしホッとしたのも束の間
12月24日金曜日
朝3時
トイレに行きたいかもと目が覚めて身体を動かした瞬間に破水。
看護師さんに「もしかしたら破水したかもしれないです」と言って検査してもらうと
破水していて家に帰れなくなりました。
破水後24時間以内に陣痛が来なければ感染のリスクが高くなるということで、陣痛が来るまで陣痛促進剤を使うとのこと。
朝10時に陣痛促進剤を入れ
16時に1本目の陣痛促進剤の点滴が終わり。
2本目の陣痛促進剤に突入。
すると18時に急激に今まで感じたことがないくらいの腰の痛みがくる。
無痛分娩と聞いていたのに、最初の陣痛は耐えなあかんのかーーーーーーい!と思いながら
「いたいーいたいー!!!!
腰が痛いんですがーーーー!」
と言っているのに
「腰?(陣痛の痛みを)そうおっしゃられる方もいらっしゃいますがもう少し待ってください」
と、看護師さん、一向に麻酔を入れてくれず。
痛みと闘うこと1時間。
私が「痛すぎる、、、」と言っていると
主人が看護師さんを呼び「腰が本当に痛いみたいなんですが、、、」
の言葉で、やっと麻酔を入れてくれることになりました。
なんで?笑
そこから私の身体に恐ろしいことが起こりました。
19時に無痛分娩の麻酔が入り
20時に突如40度超えの発熱をしたんです。
寒くて寒くて身体がガクブル、、、、、
主人曰く震えすぎて歯がカチカチ言ってたそうです。笑
私はここで死んでしまうのかと少し覚悟しました。
カイロを手に、毛布をかけてもらい暖まりながら
寒さが治まってきたので
途中少し眠りました。
22時に熱が下がり、ホッとするも束の間
23時
子宮口が開いてきたので
無痛分娩の麻酔のレベルを下げられる→激痛。
無痛分娩とは!!!!!!!?????
と心の中で叫ぶ。
ここからは激痛で記憶無し。
息を吐いてー!
と急に言われ
「まず吸ってじゃないのー!??」
と思いながら
痛みで上手くいきめず、医師による吸引分娩が始まる。
ドゥルン!
という感覚で
人が飛び出してきました。
23時59分に娘2222gで誕生!
立ち会った旦那さんの第一声は「(赤ちゃん)可愛いよ!!!!!!見てみて!!!」
ってこっちは見られまへん。
12月25日土曜日、0時20分くらい
処置を終えた娘と初対面。
パパに似てるー!
ずっとこの子が私のお腹にいて、私の娘なんだ、、、
と思いました。
そして出産時から便意が凄くて
ようやく管も外され動ける!
と、ベッドを立ち上がると助産師さんにバチギレされる。
そして病室へ車椅子で運ばれました。
朝3時
5日ぶりのベットで就寝。
8時に朝ご飯で起こされ
9時頃、後陣痛で悶え苦しむ。
本当に痛くて痛くて、お腹にカイロを貼ると少し痛みが和らぎ、
その疲れで少し眠りました。
その後は健診諸々、、、助産師さんによる赤ちゃんのミルクのあげ方講座。
疲労が限界でこの日は自分の身体を休めることに専念しました。
12月26日日曜日
この日から母子同室。
病室に娘のベッドが運ばれてきたとき
娘の可愛さに号泣。
医師から
娘が小さく生まれたので、体重が2300グラムを越えるまで入院が伸びることが伝えられました。
この日から育児にてんやわんや。
母乳とミルク混合で与えていて
諸事情で母乳は搾乳機を使っていたのと、ミルクはつけ置き洗いだったので
1日のほとんどを母乳とミルクの準備とオムツ替えでバタバタしていました。
娘はミルクを毎回全部飲んでくれて助かりました。
12月27日月曜日
深夜、娘の大号泣に何をしても泣き止まず
連日の入院生活で心身ともに疲労していた私は涙が止まらなくなり、ナースコールを押しました。
助産師さんにその姿を発見してもらえて、数時間娘を預かってもらうことになり
「ママが辛い時は頼ってよ!そのために私たち助産師がいるんだからね!」
と言ってもらえてまた号泣。
12月28日火曜日
年末年始は病院で過ごすのか。
と覚悟して
助産師さんに
主人と外出したいと相談すると無理をしない範囲でならと快くOKをもらえたので
コメダ珈琲へ行きました。
おまた痛すぎて座布団2個持ち込んで食事。
久しぶりの外食は本当に幸せで
涙が出ました。笑
それほど精神的にも体力的にも大変な1週間で
このリフレッシュが活力になり生き返りました!
病院に戻って娘は毛布でくるまれていて
暖かくて気持ち良いのか、心地よい顔をしていて笑けましたw
12月29日水曜日
連日、娘が問題なくミルクを飲んでくれたおかげで退院できる目安体重をクリア。
お医者さんに
「明日退院で!あ、もしアレだったら今日でも良(いよ)…」
の言葉に食い気味で、
「今日帰ります!」
と言い、娘と共に退院。
旦那さんと娘と3人での生活がスタートしました。
私が出産した時はちょうどコロナ禍真っ最中で
立ち会いも面会も出来ないのではないかと恐れていたのですが
たまたま私が入院する1週間前から全国の感染者数が落ち着き
入院した日から面会が時間制限でOK、立ち会いもOKとなり
娘も私も強運だなと思った次第であります。
そして私の入院中は仕事を在宅に切り替えて毎日病院へ来てくれた主人と
主人が勤めている会社には本当に感謝しかなく
本当に旦那さんと結婚してよかったと心から思った入院生活でした。
そして、もし次に出産する予定があれば
計画無痛分娩は絶対にしない!
と、心に決めております^^;
私は分娩室入院から5日目で出産でしたが
なかなか産まれてこない人だと最長記録3週間だそうです。(土日は退院)
計画無痛分娩をされる方は、どのような事を行うのか
医師に質問して、納得できるまで調べる事をオススメします。